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最高裁判所第二小法廷 平成元年(オ)174号 判決

上告人

嶋田榕子

右訴訟代理人弁護士

小川正澄

小川まゆみ

被上告人

上出美津江

右訴訟代理人弁護士

木村敢

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小川正澄、同小川まゆみ上告理由第一点、第二点及び第三点について

嶋田カツが第一審判決別紙物件目録記載の一ないし六の土地を前所有者から買い受けてその所有権を取得したとした原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原審は、登記簿の所有名義がカツになったことだけから右事実を認定したのではなく、同人が台東不動産株式会社の社長として相応の収入を得ていたことなどの事実をも適法に確定した上で、カツの売買による所有権取得の事実を認定しているのであり、原審の右認定の過程に、所論の立証責任に関する法令違反、経験則違反、釈明義務違反等の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第四点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第五点及び第六点について

一  原審の適法に確定した事実関係は次のとおりである。

1  第一審共同被告嶋田三郎は嶋田カツの夫、上告人(第一審被告)はカツの長女、被上告人(第一審原告)はカツの二女、第一審共同原告角田ミチ子はカツの三女で、いずれもカツの相続人であり、第一審共同原告上出幟は被上告人の夫であるが、カツは昭和六一年四月三日死亡した。

2  カツは、第一審判決別紙物件目録記載の一ないし八の土地(ただし、八の土地については四分の一の共有持分)を所有していたが、(1) 昭和五八年二月一一日付け自筆証書により右三ないし六の土地について「上出一家の相続とする」旨の遺言を、(2) 同月一九日付け自筆証書により右一及び二の土地について「上出の相続とする」との遺言を、(3) 同五九年七月一日付け自筆証書により右七の土地について「上出幟に譲る」との遺言を、(4) 同日付け自筆証書により右八の土地のカツの持分四分の一について「角田に相続させて下さい」旨の遺言をそれぞれした。右各遺言書は、昭和六一年六月二三日東京家庭裁判所において検認を受けたが、右の遺言のうち、(1)の遺言は、被上告人とその夫幟に各二分の一の持分を与える趣旨であり、(2)の遺言の「上出」は被上告人を、(4)の遺言の「角田」はミチ子をそれぞれ指すものである。なお、ミチ子は、右八の土地についてカツの持分とは別に四分の一の共有持分を有していた。

二  原審は、右事実関係に基づき、次のように判断した。

右(1)、(3)におけるカツの相続人でない幟に対する「相続とする」「譲る」旨の遺言の趣旨は、遺贈と解すべきであるが、右(1)における被上告人に対する「相続とする」との遺言、(2)の「相続とする」との遺言及び(4)の「相続させて下さい」との遺言の趣旨は、民法九〇八条に規定する遺産分割の方法を指定したものと解すべきである。そして、右遺産分割の方法を指定した遺言によって、右(1)、(2)又は(4)の遺言に記載された特定の遺産が被上告人又はミチ子の相続により帰属することが確定するのは、相続人が相続の承認、放棄の自由を有することを考え併せれば、当該相続人が右の遺言の趣旨を受け容れる意思を他の共同相続人に対し明確に表明した時点であると解するのが合理的であるところ、被上告人については遅くとも本訴を提起した昭和六一年九月二五日、ミチ子については同じく同年一〇月三一日のそれぞれの時点において右の意思を明確に表明したものというべきであるから、相続開始の時に遡り、被上告人は前記一及び二の土地の所有権と三ないし六の土地の二分の一の共有持分を、ミチ子は前記八の土地のカツの四分の一の共有持分をそれぞれ相続により取得したものというべきであり、幟は、前記(3)の遺言の効力が生じた昭和六一年四月三日、前記七の土地の所有権を遺贈により取得したものというべきである。したがって、被上告人の請求のうち前記一及び二の土地の所有権並びに三ないし六の土地の二分の一の共有持分を有することの確認を求める部分、幟の前記七の土地の所有権を有することの確認を求める請求及びミチ子の前記八の土地の四分の一を超え二分の一の共有持分を有することの確認を求める請求は、いずれも認容すべきであり、被上告人のその余の請求(三ないし六の土地の右共有持分を超える所有権の確認を求める請求)は理由がない。

三  被相続人の遺産の承継関係に関する遺言については、遺言書において表明されている遺言者の意思を尊重して合理的にその趣旨を解釈すべきものであるところ、遺言者は、各相続人との関係にあっては、その者と各相続人との身分関係及び生活関係、各相続人の現在及び将来の生活状況及び資力その他の経済関係、特定の不動産その他の遺産についての特定の相続人のかかわりあいの関係等各般の事情を配慮して遺言をするのであるから、遺言書において特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言者の意思が表明されている場合、当該相続人も当該遺産を他の共同相続人と共にではあるが当然相続する地位にあることにかんがみれば、遺言者の意思は、右の各般の事情を配慮して、当該遺産を当該相続人をして、他の共同相続人と共にではなくして、単独で相続させようとする趣旨のものと解するのが当然の合理的な意思解釈というべきであり、遺言書の記載から、その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り、遺贈と解すべきではない。そして、右の「相続させる」趣旨の遺言、すなわち、特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させようとする遺言は、前記の各般の事情を配慮しての被相続人の意思として当然あり得る合理的な遺産の分割の方法を定めるものであって、民法九〇八条において被相続人が遺言で遺産の分割の方法を定めることができるとしているのも、遺産の分割の方法として、このような特定の遺産を特定の相続人に単独で相続により承継させることをも遺言で定めることを可能にするために外ならない。したがって、右の「相続させる」趣旨の遺言は、正に同条にいう遺産の分割の方法を定めた遺言であり、他の共同相続人も右の遺言に拘束され、これと異なる遺産分割の協議、さらには審判もなし得ないのであるから、このような遺言にあっては、遺言者の意思に合致するものとして、遺産の一部である当該遺産を当該相続人に帰属させる遺産の一部の分割がなされたのと同様の遺産の承継関係を生ぜしめるものであり、当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り、何らの行為を要せずして、被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきである。そしてその場合、遺産分割の協議又は審判においては、当該遺産の承継を参酌して残余の遺産の分割がされることはいうまでもないとしても、当該遺産については、右の協議又は審判を経る余地はないものというべきである。もっとも、そのような場合においても、当該特定の相続人はなお相続の放棄の自由を有するのであるから、その者が所定の相続の放棄をしたときは、さかのぼって当該遺産がその者に相続されなかったことになるのはもちろんであり、また、場合によっては、他の相続人の遺留分減殺請求権の行使を妨げるものではない。

原審の適法に確定した事実関係の下では前記特段の事情はないというべきであり、被上告人が前記各土地の所有権ないし共有持分を相続により取得したとした原判決の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官香川保一 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平)

上告代理人小川正澄、同小川まゆみの上告理由

第一点ないし第四点〈省略〉

第五点 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令(「遺産分割方法の指定」(民法九〇八条)の解釈)の違背がある。

一、従来の判例、学説及び実務

1、遺産に属する特定の財産Aを特定の共同相続人甲に相続させる旨の遺産分割方法の指定があるときは、Aも他の遺産とともに相続財産の一部となり、その全部を対象として遺産分割が行われ、ただ指定された相続人甲が指定された特定の財産Aを取得するものとされるにすぎない。したがって、右財産Aは遺産分割が実施されるまでは法定相続分による遺産共有の状態にある。

そのため、一般に共同相続人の間で比較的公平で妥当な遺産分割ができるし、問題を簡明かつ合理的に解決できる。そして、指定によってAを取得する甲の受取る額が法定相続分を超えるときは、それは相続分の指定を伴う分割方法の指定となり、さらにそれが他の共同相続人の遺留分を侵害すれば、減殺請求を受けることになる(民法九〇二条一項但書)。

2、また、この場合は、遺産分割の成立までは、甲はAの所有権を取得することはない。遺産分割の成立によって相続開始の時に遡ってその所有権を取得したことになる(民法九〇九条)。

3、したがって、遺贈の場合、受遺者が相続開始と同時に当該財産の所有権を取得し、これを他に譲渡することも自由である(物権的効力がある)のと顕著な相違があるのである。

4、また、Aを取得するものと指定された甲が、その引渡し、または所有権移転登記手続を求めるなどするための手続は、特定遺贈の場合には、民事訴訟事項となり、通常裁判所に訴えを提起するのに対し、遺産分割方法の指定の場合には、家事審判事項となり、家庭裁判所に遺産分割の申立てをすることになる(判例タイムズ六一三号、民法判例レビュー一一三頁)。

もっとも、遺産分割方法の指定の場合も、問題の財産が遺産に属するか否か、指定された相続人甲が真正の相続人であるか否かについての判断が通常裁判所の管轄に属することはいうまでもない。

5、以上は判例・学説が一致して採るところである。

① 東高判昭和四五年三月三〇日判時五九五号五八頁

② 最判昭和四八年三月六日(①の上告を棄却)

③ 東高判昭和六〇年八月二七日(確定)判時一一六三号六四頁

④ 東地判昭和六一年一一月二八日判時一二二六号八一頁

(なお、札幌高判昭和六一年三月一七日判タ六一六号一四八頁、判タ六一三号民法判例レビュー一一二頁参照)

勿論、本件の第一審判決も、この点については、右と同様の見解に拠っている。実務は、以上のとおり長年積み重ねられてきたのである。

6、したがって、遺産分割方法の指定がある場合、Aは、他の遺産と共に遺産分割の対象となり、遺産分割協議、家事調停・審判の一連の手続(以下「遺産分割手続」という)の中で、共同相続人間の公平をはかりながら、遺留分減殺手続をも経て、合理的な処理がなされるというのが、確立した実務である。

そして、これが、実質的にも妥当な解決に資する考え方であることは、右に述べたところから明らかであろう。

7、なお、右と同一の配慮から、「遺贈を受けた者が第三者であったり、相続財産が遺贈されたものだけである場合は別として、他に相続財産がありこれについて遺産分割が行われるようなときには、両者別々の手続を進めるのも煩わしいので、特定遺贈の請求も遺産分割手続の中で処理されるべきである」と主張され、家庭裁判所の実務もこの線で行われていることを付言する。

二、原判決独自の解釈

ところが、原判決は、かような実務の流れ及び実質的な配慮には一顧だにせず、上告人の右と同旨の主張(原審記録中、昭和六三年三月一九日付準備書面一)につき、検討した形跡すらなく一切反論することもなく、独自の解釈論、遊戯的ともいえる技巧的な解釈論を展開し、従来の取り扱いに反する結論を強引に導き出している。

原判決は、詰まるところ、遺産分割方法の指定につき、遺贈と同一の、もしくは、できるだけこれに近い効果を与えようとしているのである。すなわち、遺産分割手続なくして、甲がAの所有権を確定的に取得できるとの結論をとっている。

このための論理構成として、「甲が、Aについて優先権を主張した時点において、その限度における遺産の一部の分割の協議が成立したものと評価する」という極めて特異な解釈論を創り出している。これが種々の欠陥を有することは後に詳述するが、まず、遺贈と同じ効果を付与しようとすること自体の問題点及び不当性を以下のとおり指摘する。

三、共同相続人間の公平の観点から

民法は、遺言できる事項を限定的に規定し、それぞれの法律効果を定めている。その中に遺贈(同法九六四条)、相続分の指定(同法九〇二条)、遺産分割の方法の指定(同法九〇八条)等がある。

原判決は、民法が右のように明確に区別して規定した趣旨に反し、各法概念を混同せしめ、実務をも混乱させるものである。

言うまでもなく、遺産分割方法の指定は、「第三節 遺産の分割」の節に規定されており、共同相続人間で遺産分割を行うことを前提としていることが、文言からも明らかである。これに対し、遺贈は受遺者がたまたま相続人である場合もあるが、一般には相続人以外の者に対し行われることが想定されており、特定遺贈においては、その目的物は遺産分割の対象外となり、通常、相続人が遺贈義務者となるのである。

ところで、共同相続人間においては「公平」が最も尊重されるべきであることは多言を要しないところ、共同相続人全員による遺産分割手続きは、右公平を実現させる手続とも言える。しかし特定遺贈では、その目的物は遺産分割手続きの対象から排除され、共同相続人間で修正する機会は与えられていない。

こうしてみると、遺言者が遺産分割方法の指定をしているにもかかわらず、共同相続人間の公平をはかる手続的担保を取りはずして実質的には遺贈の効果を与えようとする原判決の態度は、相続法の基本理念に悖るものと断ぜざるを得ない。

因みに、スイス民法五二二条二項、六〇八条三項は、一般的に相続人に対する特定の遺産の指定は、被相続人の意に反しない限り、遺産分割方法の指定とみ、また遺贈か遺産分割方法の指定かに関しては、疑わしいかぎり遺産分割方法の指定と推定している(中川編注釈相続法上二〇〇頁、別冊ジュリスト家族法判例百選第三版二四六頁)。比較法的にみても、両者は概念的に明確に区別されているのである。そしてまた、共同相続人間では遺贈とは異なる取扱いによって公平をはかろうとされていることも窺えるのである。

四、遺言者の意思について

右のとおり、遺言者は、「遺産分割方法の指定」を選んで、遺産分割方法において当該財産をその相続人に取得させるべき旨の分割の指針を示すか、「遺贈」を選択して、当該財産を遺産分割をまたずに相続開始と同時にその相続人に帰属させ、これを遺産分割から除外する趣旨を表わすかの自由を有するわけである。

ところが、原判決は、遺産分割方法の指定について「遺産の分割を、全部又は一部、自分の生前に予めやっておく、つまり、遺産分割の協議を共同相続人の代わりに被相続人がやっておいてやるという意識の下にAを甲に与える旨の遺言をすることが多い。」と述べる。しかし、かような「意識」について触れた文献もなければ、かような「意識」をもつことが「多い」かどうかの実証的研究も見当たらない。右は、原判決の独断にすぎないのである。これを自明のこととし、かつ出発点とする解釈論の進め方は誤っていると言わざるを得ない。

むしろ、遺言者は、共同相続人全員の遺産分割手続の中で、指定に沿って帰属を決定するようにという意思を有しているというのが素直であろうし、従来諸文献にも記載されてきたところである。原判決の「遺産分割方法の指定」に関する意思解釈は、法の規定を超え、新たな概念を創出したことになる。

五、相続分の指定及び寄与分との関係

前記のとおり、「遺産分割方法の指定」によって特定財産を取得する相続人の受け取る額が法定相続分を超えるときは、それは相続分の指定を伴う分割方法の指定となるのである。本件も仮に目的不動産が遺産の範囲に属する(亡カツの所有に属する)とし、かつ遺言の文言が有効であるとすれば、相続分の指定を伴うものとなる。

ところが、原判決は、この点に関し、何ら触れていない。しかし、次のとおり、寄与分が問題になる場合には原判決の結論が維持できなくなるのである。

民法九〇四条の二第一項によれば、相続分の指定があった場合に、寄与分を受ける相続人があるときは、寄与分によりその指定相続分を修正して具体的な相続分を算定することとされている。これに対し、遺贈は、寄与分による修正を受けないのである(法務省民事局参事官室編「新しい相続制度の解説」二七四〜二七七頁)。

寄与分の定め方について言えば、共同相続人の協議によって定めるのが原則であるが、協議が調わないとき、または、できないときには、家庭裁判所の調停または審判によって定めることになる(民法九〇四条の二第一項、第二項)。「寄与分を定める処分」は独立の審判事項である(家事審判法九条一項乙類九号の二)が、遺産分割の審判申立てのあることが前提であり(民法九〇四条の二第四項)、遺産分割の審判申立てが先行または同時になされていないときに寄与分審判のみを申立てることはできず、また、遺産分割と寄与分を定める処分とは必ず併合して審理および審判をしなければならない(家事審判規則一〇三条の三)。要するに、相続分の指定があった場合、理論的には、寄与分の決定は、具体的な相続分の決定に先行し、手続的には、遺産分割手続の前提であり、かつ、併合してなされるものである。

すると、原判決は、遺贈ではなく遺産分割方法の指定であるとする以上、本件のように相続分の指定を伴う場合があること自体は認めているものと思われるが、その場合、原判決のごとき遺贈と実質的に同一の効果――甲がAについて優先権を主張した時点において、その限度における遺産の一部の分割の協議が成立したものと評価する――を認めると、寄与分を無視することとなり、民法九〇四条の二第一項に正面から違反することになる。原判決の解釈論は右のとおり破綻をきたしているのである。

本件では、目的不動産が亡カツの遺産に属するといえるか否かが争われ、上告人は、いずれも亡カツの夫三郎が前所有者から買い受けたもので、同人の所有するものであると主張し、その旨の立証もなされているが、仮に亡カツの遺産に属するとしても、夫三郎の特別の寄与があったことは誰の目にも明らかである。原判決も流石に売買代金については夫三郎の援助を受けたものと推認している。

してみると、原審被控訴人三郎(原審結審後死亡したため、上告人らが訴訟承継することが予測される)は、原判決の解釈論によると、寄与分の決定は家事審判事項であり、しかも遺産分割審判と分離することができないため、寄与者であることがこれほどまでに明白であるのに、寄与分の主張の機会を失うことになる。すなわち地方裁判所系列の裁判所において、訴訟事項でない寄与分の主張が許されないのは言うに及ばず、遺産分割手続を要しないというのであるから、寄与分の主張は家庭裁判所においても審判される機会が奪われるわけである。かような不合理が許されるはずはなく、実質的にみても、極めて不当な結論であること疑いの余地がない。

以下、本件以外の典型的な一例を挙げて、原判決の解釈論の不合理さを指摘する。

被相続人A男の先妻(昭和二二年に死亡)との間に二人の男の子がある。A男は東京都内で住居兼店舗建物(一階、二階共三三平方メートル)を賃借して、一階店舗部分の片隅で時計修理業をしていた。B女は昭和二五年にA男と結婚し、当時、小学生、中学生だった二人の男の子を育て、苦しい中から二人とも高校まで出した。長男は働いて夜間の大学を卒業、二男はアルバイトしながら昼間の私大を卒業し、それぞれ就職し、A男B女のもとから独立して生活するようになり、現在では、首都圏内に各自の自宅建物を所有するまでになり、暮しに困ってはいない。一方A男B女は細々時計修理業の収益で生活していたが昭和三〇年代に入ると、時計は電池で動くようになり、ついでデジタルの時代になり、時計修理の仕事では生活できなくなってきた。そのような時代の変り目の昭和三五年に某私鉄会社が郊外の鉄道沿線に開発した造成宅地を売り出した。A男B女夫婦は、この造成宅地を購入し、郊外に引越してアパートでも建て、時計修理業の傍ら賃料収入で生活しようと相談し、前記借家を他に譲渡して得た僅かの金員を頭金として、右造成宅地の一区画七〇坪(二三一平方メートル)を購入することとした。そして、その宅地上に木造二階建建物を建て、一階の一部をA男B女夫婦の住居兼時計修理の店舗とし、その余の部分を五室の貸室としてアパート業を始めた。その後、右宅地に隣接した三〇坪(九九平方メートル)の土地も、仲々、買手がつかないので、思い切って、これをも買い受け、そこにも木造二階建アパートを建築した。宅地購入資金、建物建築資金は銀行から借入れ、二〇年の割賦返済をすることにしたが、都心から遠い土地のため、賃料収入は僅かしかあがらず、銀行ローンの支払いにも不足し、その日その日の生活に窮することになった。幸か不幸かB女には子供が生まれなかったので、B女は家政婦として賃金を稼いだり、実家が比較的裕福だったので、実家の援助を受けたこともしばしばであった。そのうち都内の住宅難から漸次、賃借アパートを求める者も多くなり、賃料収入も幾らか上昇してきたが、それでも、ローンの返済が完了するまでは、B女は家政婦を続け、文字通り、爪に火をともすような生活の連続であった。昭和五五年にやっとローンを完済したが、A男もB女も老境を迎えていた。二人の男の子は、A男B女の家に立ち寄ることも稀なほど疎遠であった。A男B女が、ほっと一息つける生活に入った矢先の昭和六〇年に、A男は癌に罹患し、昭和六二年六月死亡した。ところが、A男は昭和五四年中に、「前記七〇坪の宅地とその上の住居兼店舗及び貸室の二階建建物(現にB女が居住)を長男に相続させる。隣接の三〇坪の宅地とその上の木造二階建アパート建物を二男に相続させる。」という自筆証書遺言を作成していた。A男は、頭の古い人でA家の財産が、B女及びB女の死後B女の親族に流出することを極度におそれていたらしい。長男、二男は、四九日の法要の席で、初めて右の遺言を示し、長男はB女に住居部分からの立退きを求め、二男は今後、アパートの賃料は、自分が取得すると言いだした。右の経過から明らかなように、他に遺産があろうはずもない。この事例でB女は遺留分の減殺請求のみで甘んじなければならないのであろうか。右の宅地建物はA男とB女が血の出る思いで、形成した財産ではないのか。これこそ民法が九〇四条の二を新設した所以であり、同条所定の寄与分の典型ではないであろうか。これをしも、遺言者の意思は遺産分割手続を要しないで特定の財産を特定の共同相続人に帰属せしめるにあるとして、遺言があることを理由に、遺産分割手続にのせることを拒否し、他の共同相続人の寄与分を黙殺することが許されてよいというのであろうか。

六、遺留分との関係

遺留分算定の基礎となる財産とは、現実に残された遺産の価額に、生前贈与した財産の価額を加え、その中から債務の全額を控除したものであり(民法一〇二九条一項)、相続人以外の者に対しなされた贈与は原則として相続開始前の一年間にされたものに限られる(同法一〇三〇条)のに対し、相続人に対してなされた贈与は、婚姻、養子縁組のためか、生計の資本としての贈与であれば、その時期を問わず、すべて加算される(同法一〇四四条、九〇三条)のである。後者は、特別受益の持戻しと呼ばれているが、特別受益であることの確認、或いは具体的相続分の確認等については、訴訟で確定することはできず、仮にそのような判決がなされても、遺産全体に対し具体的相続分確定の既判力は取得し得ないとされており、結局、遺産分割審判にあたって家庭裁判所が算定すべき事項とされている(新版相続法の基礎一五七頁〜安倍正三「具体的相続分に関する争い」、現代家族法体系5三六頁〜田中恒朗「遺産分割手続の前提問題」)。

したがって、遺留分算定の前提となる特別受益の認定及びその持ち戻しは、遺産分割手続においてなされることになるのである。

実際的にみても、たとえば、遺産分割方法の指定があり、それが訴訟の対象となっているが、その財産以外にも遺産らしきものがあり、何十年も前に生計の資本として贈与された不動産が別にあり、被相続人が種々の債務を負っており、訴訟の当事者となっていない相続人から遺留分減殺請求権が行使されたことが訴訟において主張され、かつ、遺留分の範囲が争われているという共同相続人間の争いの場合にも、地方裁判所が全ての財産につき遺産性や特別受益性を認定し、積極、消極財産の価額を算定して、共有持分の範囲で確認判決なり給付判決なりを下すことが法的に可能で、かつ、公平妥当な解決に資すると原判決はいうのであろうか。仮に訴訟物の範囲で既判力が生じるとしても、訴訟当事者以外の相続人についてはこれは及ばないのであり、共同相続人全員による遺産分割が更に必要である。また、右のごとき地方裁判所の苦労にもかかわらず、訴訟の対象となっていない財産についての分割協議が再度必要なのは言うまでもなく、その際、遺留分を算定する過程で判断した、訴訟物以外の財産の帰属や評価については何らの法的効力が生じず、右努力は事実上も無駄になりかねない。

のみならず、一般に遺留分減殺請求権が行使されると、減殺によって取戻された財産は、遺産分割の対象たる財産に属すること(いわゆる遺産共有)になり、遺産分割の実施により、初めて各人への権利帰属が確定するとされる。遺留分減殺請求の成否は遺産の範囲確定につき遺産分割の前提問題といわれているところである(現代家族法体系5五八頁〜橘勝治「遺産分割事件と遺言書の取扱い」六八頁、前掲一、5①②の判例)。したがって、減殺された財産については遺産分割が必要である。

そして、遺贈の場合は、減殺により遺贈が無効になって遺産に属するようになった部分と依然遺贈が有効である部分とは物権法上の共有となり、共有解消の手続が更に必要となる。遺産分割方法の指定につき、遺産分割手続を経ずに権利の帰属が確定するという原判決の考え方によれば、この場合、右と同様、減殺された財産についての遺産共有を解消する遺産分割手続後、物権法上の共有を解消する共有物分割手続まで要することになる。すると、原判決の言うように「共同所有の形にあるよりも単独所有の形にあるほうが望ましい」という根拠によって遺産分割手続きを経ないで権利の帰属が確定すると解すべきであるとの結論は必ずしも導くことができないのであって、原判決の解釈論によれば、遺留分減殺請求があるときは、かえって多くの手続を重ねなければ単独所有になり得ないことが明白である。

故に、従来の実務、判例が、遺産分割方法の指定がある場合「当然に相続人各人がそれぞれの取得分につき単独所有権を取得しうるものではなく、法律の定める遺産分割の手続において右遺言の指定及び遺留分に関する規定に従って遺産の分割が実施されることにより、初めて、相続開始の時に遡って各人への権利帰属が具体化する」と解しているのは、法規の吟味と共に実質的な法の実現及び手続に対する配慮を行った末の卓見であるといえよう。

原判決は、遺留分減殺請求のない場合のみを想定して議論をすすめているようであるが、争いになるケースのほとんどは遺留分減殺請求がなされる場合であるから、この点は十分考慮されねばならない。

本件でも、後記のとおり遺留分減殺請求権は行使されている。

七、「遺産分割手続が無用である」との点について

原判決は、「甲が確定的に優先権を主張した時点以後の手続は明らかに無用である」と述べているが、以上詳述したとおり、無用どころか、必要であることが明らかである。

また、前記のとおり、出来るだけ公平妥当な解決をはかる観点から、相続人に対してなされた遺贈についても、遺産分割手続によって処理しようとなされているのが実情である。

更に、原判決は、一部分割を積極的に奨励するかのごとき口吻であるが、一般的に遺産は、その全部が一挙に全相続人にそれぞれ分割されることが、望ましいとされており、段階的遺産分割・一部分割は例外的に、かつ要件を付して認められている(新版相続法の基礎一八五頁〜丹宗朝子「遺産の段階的分割」)のである。安易に遺産の一部についてのみ、遺産分割手続を無用とし、段階的な遺産分割の成立を認めるべきではない。

本件でも、遺言で指定された財産以外に遺産が存在する(第一審判決及び原審における上告人の昭和六三年三月一九日付準備書面)のであって、これらについて遺産分割手続が必要なのは明白であるから、原判決の解釈論のように、一部のみにつき遺産分割成立を擬制させてみても、結局は別に遺産分割手続を行うことになり、手続が煩瑣になると共に紛争の公平妥当な一回的解決から遠ざかるだけである。

八、登記手続について

原判決は、「登記実務において、分割方法の指定と解される遺言によって相続を登記原因とする所有権移転登記を認めている」ことも、自説の根拠としている。しかし、法務局の登記実務の後追いをするのが、裁判所のあるべき姿であるとは情けない。

しかも、登記実務をより詳細に検討するならば、次のとおりとなる。遺産分割前に法定相続分に応じた「相続」を登記原因とする所有権移転登記がなされた後、遺産分割が成立し、「遺産分割」を登記原因とする持分移転登記がなされることもある。これとパラレルに分割方法の指定と解される遺言がある場合に「相続」を登記原因とする所有権移転登記がなされた後、寄与分や遺留分等で修正された遺産分割が成立し、「遺産分割」を登記原因とする持分移転登記がなされることもあり得るはずである。すなわち、原判決のとり上げる登記実務も、暫定的なものにすぎないのである。

九、原判決の解釈論自体の欠陥

1、原判決の「優先権の主張」という概念は、民法には明文の規定がないのみならず、これを前提とした規定も皆無である。また講学上もかような概念は用いられていない。判例もかような概念をとらない。

さらに、原判決は、右優先権の主張により、遺産の一部の分割協議が成立したと擬制すべきであるとしているわけであるが、右の唐突な擬制は、何らの規定に基づかず、また何らかの法理の類推適用をしたものでもない。正に解釈に名を藉りた立法行為に等しい。そして、既述のとおり、特定遺贈と解したのと同一の取扱いをするために、極めて技巧的で複雑な解釈を用いて、民法が載然と区別して限定的に規定している「遺贈」と「遺産分割方法の指定」という二つの確立した概念制度を徒らに混同せしめ長年の実務慣行を覆すものである。

2、原判決は、「右意思(甲がAを取得する意思)表明の時点をもって協議成立の時点と解すべきである(大判昭一三・四・三〇新聞四二七六・八参照)。」と説示している。

しかし、右大判は、「民法第二百五十八條第一項ニ所謂共有者ノ協議調ハサルトキトハ共有者ノ一部ニ付共有分割ノ協議ニ應スルノ意思ナキコト明白ナル如キ場合ヲモ包含シ必スシモ所論ノ如ク現實ニ共有者カ協議シタルモ不調ニ終リタル場合ノミニ局限スヘカラサルモノト解スルヲ相當トス」というのであって、民法二五八条の、「共有物分割の訴を提起する要件」としての「協議不調――協議不成立」について判断しているのである。これを参考に権利確定を生じさせる「協議成立の時点」を云々するのは不適切と言わざるを得まい。

3、原判決は、甲が「優先権」を主張しさえすれば、その後は、遺産分割協議、調停、審判は一切無用、不要であり、直ちに甲はAにつき確定的な所有権を取得するとの結論を導いているのであるが、「優先権を主張した時点とは、甲が遺言の趣旨を受け容れる旨の意思を他の共同相続人に対し明確に表明した時点と解する」としている。

「他の共同相続人」とは、遺産分割成立を擬制する以上、他の全共同相続人ということになろうし、まさかその中の一人にでも表明すればよいとは言えまいから、全員に対して表明することが必要なのであろう。すると、複数の相続人に順次表明し、最後のひとりに表明した時点ということになるのであろうか。

また、表明の仕方についても、「優先権の主張」につき何らの法規的手掛りがないため、どのような形でどのような意見を表示すればよいのか判然としない。しかも原判決は「明確に表明した時点」と言うが、「明確」「不明確」とは何を念頭において述べられているのだろうか。それこそ不明確だと言わざるを得ない。

原判決は、右の擬制された遺産分割成立により物権変動が生じるとするのであるが、その時期は不明確である。本件についても「遅くとも本件を提起した時点」としか表現できないのである。

第六点 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令(釈明義務違反)の違法がある。

従前の裁判例及び実務の通説は、東京高裁昭和四一年(ネ)第一五五六号、第一六三九号昭和四五年三月三〇日同高裁第一民事部判決(高裁民集二三巻二号一三四頁、最高裁昭和四八年三月六日上告棄却)をはじめとし、東京高裁昭和五一年(ネ)第二七七七号昭和六〇年八月二七日同高裁第四民事部判決、東京地裁昭和五七年(ワ)第五八八〇号、第一一三〇七号昭和六一年一一月二八日同地裁民事第一部判決(判時一二二六号八一頁)に至るまで、一貫して次の立場を堅持して来た。すなわち、

被相続人が特定の相続財産を特定の共同相続人に取得させる旨の遺言をした場合には、特別の事情のない限り、これを右特定の財産の遺贈とみるべきではなく、遺産分割において右特定の財産を当該相続人に取得させるべきことを指示する遺産分割方法指定(民法九〇八条)とみるべきものであり、もし右特定の財産の価額が当該相続人の法定相続分を越えるときは、相続分の指定(同法九〇二条)を併せ含む遺産分割方法の指定をしたものと解すべきで、遺言自体によって当然に、当該特定の共同相続人が、その指定による取得分につき単独所有権を取得し得るものではなく、法律の定める遺産分割の手続において、遺言の指定及び遺留分に関する規定に従って遺産の分割が実施されることにより、初めて、相続開始の時に遡って各人への権利帰属が具体化するものである。したがって、いまだ右遺産分割の手続が行われていないときは、当該特定の相続財産は、なお遺産共有の状態にあり、特定の共同相続人の単独所有となるには至っていないものと解すべきである。

というのである。この見解に反する下級審裁判例は公刊された裁判例集、法律雑誌には見出せないし、本件第一審裁判所もこの見解に従ったものであることはいうまでもない。

上告人は昭和六三年三月二八日の原審口頭弁論期日及び同年五月二三日の口頭弁論期日において、本件においても、遺産分割手続がなされるべきで、本件訴訟で問題となっている土地以外にも、他に僅かながらカツの遺産もあるようだし、上告人及び第一審被告三郎は、被上告人らに対し遺留分の減殺請求権を行使している旨主張し、相続税申告書の財産目録(これは証拠調された)のほか別紙添付の被上告人らに対する遺留分減殺請求の内容証明郵便を乙第八号証の一ないし五として提出しようとしたところ、原裁判所は「その必要はない。」と撤回するように促された。上告代理人は、原裁判所が既に本件一ないし六の各土地が遺言者カツの所有であったことについての心証を得なかったか、少なくとも従前の判例に従った判決をするつもりで、遺留分減殺請求についての主張立証をさせないものと察知し、訴訟指揮に従ったのである。けだし遺留分減殺請求の主張立証を許すことは、裁判所の法律見解を示すことになり、遺留分の額ないし割合につき、審理するには、相当の弁論と鑑定等をする必要があり、訴訟が遅延することは疑いないからである。

しかし、原裁判所が従前の判例を変更し、遺産分割の手続を要せず、遺言によって被上告人が相続開始後、本訴を提起した時点で、所有権を取得するとの見解を採用するのならば、原裁判所は上告人が遺留分減殺請求をした事実についての立証をしようとしたのを撤回させるどころか、遺留分減殺請求の事実の主張、立証を促すべきであって、原裁判所は明らかに釈明義務を誤ったものである。何故なら、遺留分減殺請求の事実は、事実審の口頭弁論終結前に存在した事実資料として既判力により遮断されるおそれがあるからである。

上告人は、遺留分減殺請求について準備書面において縷説しており、前記のように、その証拠の提出までしたのであるから、原裁判所は上告人が遺留分権を有することを十分知っていたはずで、遺留分減殺請求の事実について主張、立証を促さなかったのは明らかに釈明義務を怠ったものであり、訴訟促進をはかるあまり、面倒な審理をさけたのは、審理不盡のそしりを免れない。

以上いずれの点よりするも原判決は違法であり破棄されるべきである。

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